多摩地域は自然と歴史豊かな地域です。その魅力を少しでも引き出しお伝えできればという思いを込めて、郷土の歴史にかかわることも少しずつお伝えしていこうと思います。今回は国分寺市戸倉にある「戸倉神社」です。

戸倉神社
由緒が書かれた看板には次のとおり記載されています。
御祭神
八千矛神(スサノオの息子とされる「大国主」の別名)
由緒
享保十四年戸倉新田が開発されたとき、此の里の鎮守として、現在の西多摩郡五日市町戸倉の三島神社を勧請、山王大権現として鎮座。明治二年に戸倉神社と改称した。
享保十四年戸倉新田が開発されたとき、此の里の鎮守として、現在の西多摩郡五日市町戸倉の三島神社を勧請、山王大権現として鎮座。明治二年に戸倉神社と改称した。
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享保十四年は1729年で、当時は江戸時代です。
江戸幕府の将軍は、8代目の徳川吉宗でした。
徳川吉宗は江戸近辺の新田開発を指示したため、武蔵野の森であったこの辺りの地域も開墾が進み農地になっていきました。
戸倉神社はこの享保14年に戸倉新田が開発された時の神様として、西多摩郡五日市町戸倉の三島神社から神様を分祀したと書かれています。
西多摩郡五日市町戸倉は、現在、あきる野市戸倉となっています。
JR武蔵五日市駅から檜原街道を秋川方面へ向かうと「戸倉」という地名が出てきます。
多摩川誌という財団法人河川環境管理財団がまとめた書誌には、享保14年(1729年)の項目に「戸倉新田開拓に戸倉村の郷左ヱ門と桧原村野孫兵ヱ他3名が第1陣として移住する。」とあります。
今では大きな街となっている国分寺市に移住してきた方々は、関東の都心部である東側からではなく、奥多摩に近い西側からやってきたのは少し驚きでした。
国分寺市の戸倉という地名は、あきる野市の戸倉に由来するものだったんですね。

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